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店長ブログ

たべそ屋☆しほ

京都府北部、天橋立の近く、与謝野町三河内で、地道に素朴に安全でおいしい麺を作り続けます。
「たべそ」を食べて「おいしい。」と皆様に喜んでいただけることが私達の喜びです。
よろしくお願い致します。

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丹後古代赤米麺「たべそ」の由来について

赤米大和朝廷時代、屯倉(みやけ)の耕作に従事した農民のことを「田部(たべ)」と云い、そこで造られた赤米は今日の稲作の起源、また赤飯のルーツとも云われ、古く天平時代に丹後の地でも耕作されていたことが平城京跡から発掘された木簡に示されています。わずか神事用としてのみ細々と伝承されてきた「幻の赤米」が与謝野町三河内「田餅曽(たべそ)」の地に丹後古代赤米として甦り、今日再び神事や御祝いの席などに貴重な神代の味として多く用いられています。
その赤米の持ち味を生かした麺が誕生し、その収穫されている地名を生かして「たべそ」と命名致しました。
古代ロマンの味をご賞味ください。

赤米について

赤米玄米の外観が赤褐色を呈するものを赤米という。
その性質は遺伝的なものであるから、品種によってあるものとないものがある。
ないものを赤米に対して普通米と呼ぶ。
古代に栽培されていたインド系の米で、大唐米、唐ぼしなどとも呼んだ。


赤
赤米の最大の特徴である「赤」には、邪気を払い、厄除けのチカラがあると信じられています。
日本では祝い事その他の行事に見られます。

日本古代稲研究会

●芦田ゆきおさん
昭和50年頃、平城京跡から出土した木簡の写真から、弥栄町芋野の古与曽が赤米を献上したと記されていることを知り、疑問を解くべく農家などを回り聞き取り調査を始めた。
手がかりとなったのは一人の古老からの話だったといい、「大唐米」という細長く赤い早生の米の存在にたどり着く。
昭和51年3月には、弥栄町芋野地区に奈良時代から農業が盛んだった証に「献米記念碑」を建立。
赤米の入手に奔走する中で、総社市新本の神社の神事で赤米の刈り取りをやっていたことを知り種籾を手に入れる。
高校の農業科や知人らに依頼し作付けを行い、昭和57年11月には公民館において赤米の試食会を開き各種新聞に古代米復元の偉業を評価される。
古代赤米の献上を再現し、また、全国の神社関係者から種籾が欲しいという要請を多数受けて対応したことにより古代赤米は芦田さんの元から全国へと波及して行き、その業績は高い評価を受けている。


●香山幸夫さん
「赤米が実った」という芦田行雄が載った新聞記事を読み、ロマンを感じて芦田さんを訪ねた。
翌春、芦田さんが一本の赤米の稲穂を持ってやって来てくれた。
気温が低いために全く発芽してない様態だったが、一粒、籾皮をはいでみると真っ赤な光沢のある米が顔を出した。
心臓の鼓動が聞こえるほどの感動を覚えたという。
その後、芦田さんたちの元へブータンから赤米の種子が届いた。
日本に送られてきた貴重な30粒であった。
香山さんは、その年から栽培を始め日本では有数の赤米生産者となり、現在では30種類余りの赤米を育てるまでになっているという。
神事などに稲穂が珍重されるようになったり、酒米として活用されるようになっている。
また、岡田攻氏が考案した「たべそ」の材料となっており人気を博している。


●岡田 攻(「たべそ屋」代表)
昭和57年頃、岡田攻は野田川町商工会(現、与謝野町商工会)の活動の一環であった村おこしに一生懸命取り組んでいた。
その頃、親しくしていた香山さんから「面白いお米があるので見に来たら」といわれ赤米を見せられる。
村おこしの商品になるのではとひらめき、昭和61年に赤米を使った玄米茶を発売する。
赤米が使われた一番最初の商品であったという。
昭和63年には村おこし事業も終わり、商工会では商品化する人を探していたが応える人は無く自らが買って出る。
香山さんの田で行われた、元伊勢丹後一ノ宮籠神社のお田植え祭も何度か見る機会があったというが、背丈の高い赤米の育成は大変なものだった。
何とか商品化にこぎつけたいという思いの中で試行錯誤するうちに赤米を粉にして味わい深い麺を作ることに成功し「たべそ」と命名し、地域の名産品としての地位を獲得した。
命名された「たべそ」という名前の「たべ」とは、大和朝廷時代屯蔵(みやけ)の耕作に従事した農民のことをさしていることからとったという。


麺類
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